青梅美術協会に寄せる~書家 金子峻龍

世の中、科学技術が進み、高能率化の波は青梅美術にも歩み寄ってきました。諸々の雑事から解放されるためにもその利便性は明るい出来事として運用されることになるでしょう。これまで希薄であった会員間の交流が機器の導入によって密接に深まり、より一層の覚醒が大いに期待されることは喜ばしいことです。それは同時に作品性の向上にも大きく飛躍して人々の魂を揺さぶるような輝きを発し、美術会員でしか表すことの出来ない独自性を養い、堂々と自分に与えられた花を精一杯咲かせて己の力を出し切ることにつながります。
心機一転、人間はなぜ絵を描くのかーを問い直し、無二の作品と無上のよろこびを求めて前へ進みましょう。
人間はものごころがついたときから、美しいものや、麗いなものに空くなき憧憬の念を抱いて生きてきました。物を描いたり、創ったりする行為は元来、本能として人間に備わっているものです。これはそれに携わる者の抑え得ぬ求めでもあります。有史以来、学校教育は一貫してこの欲求に呼応するような形で形成され、育成され、定着し今日に至りました。ところがこの美術教育の一貫に翳りが見え始め、揺らぎが生じてきたのです。これまで、上手を是とされ、下手を否とされてきた人間不在の模倣画優先主義のあり方に異論の声が高まってきました。そもそも表現とは人間の生きざまの証しのことです。人間の生き方に巧も拙もない。なぜならば、自分の生き様を晒け出したところに美の原点があり、人間の真価があるからです。
昨今、国の内外で、弱者と云われる人たちの生の表現方法が注目され、高い評価をうけているのはそのことを如実に物語っているからでしょう。それ等は極度な精神集中のなか筆を持つ感動と情念が切々と伝わり、見る人の胸を打つからでしょう。それは画法の理ではなく、人間の生きざまの理によって成るべきものだと思います。それは、只ひたすらな祈りと真実を刻み付ける実践であり、一本の線、一つの点に自らの存在を確かめる行為でもあります。
美とは、真実の別名であり、人間存在の根底に関わるものです。このことこそが趣として、味わいとして人の視点の的とならなければならない。芸術などと大げさなものでなくともよい。人間のぬくもり、生き方が深々と滲んでいればそれでいい。真実とは目立たない姿でソッと呟くように語りかけるものです。それは嘘のない、計らいのない絶対世界です。
勝ち負けや損得などとは一切縁のない無分別の世界です。人間が手で描くという、手を通じて刻み込まれる命の絵が今日最も求められているのではないでしょうか。
所詮、私たちも人間としての弱さを背負って生きていることに論外ではありませんが、純粋とはそんな弱点との斗いの姿勢を保ちつづけることだと信じています。それはまた、この荒んだ現実の嵐から人間にとってかけがえのない真心の灯を互いの掌をさしのべて守り抜く決意でもあります。

